轟悠さんは低音が響く深い歌声で男よりも男らしい(いぶし銀、オーラ、目力、渋い、華やか、かっこいい、凛々しい、美しい)、
負けず嫌いで頑固な性格のタカラジェンヌです。
芸名の由来
轟悠さんの芸名の由来は、
「轟」は故郷の「轟の瀧」からきています。
「悠」は辞書で調べて決めました。
名付け親は本人です。
愛称の由来
轟悠さんの愛称の由来は、
「イシちゃん」「イシゾー、TOM(トム)さん」は本名からきています。
「トド」は芸名からきています。
轟悠さんのプロフィール
芸名:轟悠(とどろきゆう)
本名:
愛称:イシちゃん、TOM(トム)さん、イシゾー、トド
生年月日:8月11日
年齢:
身長:168㎝
血液型:A型
家族:兄(1人)、弟(2人)
出身地:熊本県人吉市出身
学歴:人吉市立第一中学校出身
職業:宝塚歌劇団・専科・男役トップスタークラス、劇団理事、元雪組・男役トップスター、71期生
実家は地方新聞社です。
【好き】
集めている品:アロマ、輝いている物
花:百合の花以外
色:黒、グレー、紺、白
趣味・特技:旅行、油彩画、デッサン画、読書
食べ物・飲み物:和食、果物
エピソード
トップスターから専科に異動し「トップ・オブ・トップ」になり、
「第二の春日野八千代」として本公演に主演クラスで特別出演するようになりました。
「エリザベート」でルキーニ役を演じた時には、ウィーンのスタッフに「男以外の何者でもない」と評価されました。
子供の頃から気が強く男の子を泣かせていたので「女番長」と呼ばれていました。
トップから専科に異動することは悩んでいましたが引き受けました。
習っていた日本舞踊以外と舞台メイクが苦手でした。
初舞台では稽古中に大階段から落ちてあざだらけでした。
中学生の頃は獣医かパイロットになるのが夢でした。
宝塚歌劇団を目指すようになったきっかけは、
進路を考えていた頃にテレビで「ディーン」を見て興味を持ち、
1983年に淡路島の大叔母の家で大地真央さんと黒木瞳さんに出会い、
大地真央さんに受験を勧められて宝塚音楽学校を受験し、
合格後に辞退するのは不合格者に申し訳ないと思ったからです。
龍真咲「とても素敵な方」
真風涼帆「宝塚、男役を愛する気持ちが、全身からにじみ出てらっしゃる」
春日野八千代さんには細部に至るまで熱心に指導してもらい、「これからの宝塚をあなたに託すからね」とつぶやかれました。
香寿たつきさんの愛犬に男性と間違えられて吠えられたことがあります。
来歴
幼稚園の頃から日本舞踊を習い、6歳から本格的に始めました。
小学生の頃から絵画、習字、ピアノ(嫌い)などを習い、放送部に所属していました。
中学生の時に新聞部、コーラスに所属し、中学3年生の時に演劇部の部長に就任しました。
1983年に宝塚音楽学校に入学しました。
1985年に71期生として宝塚歌劇団に入団しました。
花組公演の「愛あれば命は永遠に」での初舞台後に
月組に配属されました。
1988年に雪組に組替えしました。
1989年に「ベルサイユのばら―アンドレとオスカル編―」の新人公演で初主演に選ばれました。
1992年に「恋人たちの神話」のバウホール公演で初主演に選ばれました。
1997年に雪組の男役トップスターに就任し、
相手役は花總まりさんになりました。
「真夜中のゴースト」「レ・シェルバン」がお披露目公演になりました。
相手役が月影瞳さんになり、
「春櫻賦」「LET’S JAZZ」が新トップコンビお披露目公演になりました。
2002年に専科に異動し、主演クラスとして特別出演するようになりました。
2003年に宝塚歌劇団理事に就任しました。
2010年に油彩個展「心の旅」が開催されました。
2014年に「逸翁美術館」で絵画が展示されました。
先日龍さんのvoiceに轟さんが見に来られていました。通路でコートを脱ぐ姿に一目惚れしてしまいました。